レジデンス系の不動産投資信託を積極購入

自分は不動産投資信託を買い増している。不動産投資信託の中でも、レジデンス系の不動産投資信託を購入している。オフィス系の不動産投資信託は、景気の変動と共に、分配金も変動するからだ。だから、見方を変えれば、今は買い時なのであるが、自分は安定した分配金を出しているレジデンス系の不動産投資信託の方がやはり好きだ。
アパートやマンションを買って賃貸で収入を得たいと思っていた時期があった。マンションやアパート経営の勉強をしてた頃、元を取るまでに結構時間がかかる事がわかった。建てた場所に駅が出来たりするとマンションやアパート収入もすぐに入ってくる。しかし、交通の便があまりよくない場所は、入居者が少ない。マンションやアパート経営勉強してた頃、本では上手いことが書かれていた。
 東京電力福島第1原発の事故で福島県富岡町から堺市に避難中の兄弟が15日、住吉大社(大阪市住吉区)の誘いで創建1800年記念の稚児行列に参列した。津波で祖父らを亡くし、家が警戒区域となるなど、混乱続きの2カ月。父母は2人の晴れ姿に目を細めながら「古里や地震のことは忘れてほしくないが、大阪での新生活を切り開く第一歩にしてほしい」と期待した。

 小学4年の新田光覇(こうは)君(9)と、幼稚園年長組の来覇(らいは)君(5)。地震による津波で、南相馬市に住んでいた祖父と曽祖母を失った。家は亀裂が入った程度だったが、原発から約7キロしか離れておらず、地震発生の翌日から避難生活が始まった。親族宅などを転々とし、先月6日、ようやく堺市営住宅に落ち着いた。

 大阪府内での暮らしも1カ月を超え、兄弟の言葉には「分からへん」「ちゃう(違う)」と早くも関西弁が交じる。いつも元気いっぱいだが、時折、母恵理さん(30)に「いつ富岡に帰るの?」「僕の家はあるよね?」と尋ねる。富岡町が立ち入り禁止になる前日の先月21日、父英希さん(33)と恵理さんが一時帰宅。持ち帰った幼稚園の集合写真を見た途端、来覇くんは声も出さないまま、涙をボロボロこぼしたという。

 住吉大社は、「少しでも元気を、また大阪の楽しい思い出を作ってほしい」と一家を招待した。行列には約300人の子どもとその保護者らが参加。一家は行列の先頭に立ち、約1キロを歩いた。

 金の烏帽子(えぼし)の稚児装束に身を包んだ2人は「先頭を歩けて気持ちよかった」「歩くのは疲れたけど、楽しかった」と、晴れやかな表情。恵理さんは、「津波で亡くなったおじいちゃんやひいばあちゃんに、晴れ姿を見せてあげたかった」とつぶやいた。

 一家の居住期限は1年の約束というが、恵理さんは「富岡町の復興は何一つ進んでいない。いずれは戻りたいが、1年では無理。福島に帰るまで住めれば」と話していた。【深尾昭寛】

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 京都三大祭の一つ、葵祭が15日、京都市であり、華やかな王朝装束の約500人が都大路や神社の新緑の中を練り歩いた。最高気温26.2度(平年24.2度)と汗ばむような五月晴れに恵まれ、8万1000人(京都府警調べ)の観光客らが見入った。

 天候不順を鎮める祭りとして6世紀に始まったとされる。今年は東日本大震災で自粛も検討されたが、自粛ムードに流されず、世の安泰を祈る祭りの原点を見直そうと開催が決まった。京都市観光協会は事前に募集した被災者を観覧席に招いた。

 行列は午前10時半に京都御所(上京区)を出発。十二ひとえ姿の斎王代、金井志帆さん(23)=同志社大4年=を乗せた輿(こし)が通ると、沿道から大きな歓声が上がった。【田辺佑介】

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 東京電力福島第1原発の事故で福島県富岡町から堺市に避難中の兄弟が15日、住吉大社(大阪市住吉区)の誘いで創建1800年記念の稚児行列に参列した。津波で祖父らを亡くし、家が警戒区域となるなど、混乱続きの2カ月。父母は2人の晴れ姿に目を細めながら「古里や地震のことは忘れてほしくないが、大阪での新生活を切り開く第一歩にしてほしい」と期待した。

 小学4年の新田光覇(こうは)君(9)と、幼稚園年長組の来覇(らいは)君(5)。地震による津波で、南相馬市に住んでいた祖父と曽祖母を失った。家は亀裂が入った程度だったが、原発から約7キロしか離れておらず、地震発生の翌日から避難生活が始まった。親族宅などを転々とし、先月6日、ようやく堺市営住宅に落ち着いた。

 大阪府内での暮らしも1カ月を超え、兄弟の言葉には「分からへん」「ちゃう(違う)」と早くも関西弁が交じる。いつも元気いっぱいだが、時折、母恵理さん(30)に「いつ富岡に帰るの?」「僕の家はあるよね?」と尋ねる。富岡町が立ち入り禁止になる前日の先月21日、父英希さん(33)と恵理さんが一時帰宅。持ち帰った幼稚園の集合写真を見た途端、来覇くんは声も出さないまま、涙をボロボロこぼしたという。

 住吉大社は、「少しでも元気を、また大阪の楽しい思い出を作ってほしい」と一家を招待した。行列には約300人の子どもとその保護者らが参加。一家は行列の先頭に立ち、約1キロを歩いた。

 金の烏帽子(えぼし)の稚児装束に身を包んだ2人は「先頭を歩けて気持ちよかった」「歩くのは疲れたけど、楽しかった」と、晴れやかな表情。恵理さんは、「津波で亡くなったおじいちゃんやひいばあちゃんに、晴れ姿を見せてあげたかった」とつぶやいた。

 一家の居住期限は1年の約束というが、恵理さんは「富岡町の復興は何一つ進んでいない。いずれは戻りたいが、1年では無理。福島に帰るまで住めれば」と話していた。【深尾昭寛】

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